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hirano関数@2014/4/22 10:17
スニペット「勇気」

こんにちは、関数です。

今回のスニペットは「勇気」です。

 

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気には元気や稚気や色気や才気その他数々あって、それは気だから、湧いたり漂ったりして、ふらふらしている。中でも、勇気が湧く、ともなれば勇の字が二つ重なっている。そう考えると、勇気とは案外ふらふら頼りないものかも知れない。

 

頼りないから、義を見てせざるは勇なき也。そんな戒めの呪文でも口にして自ら鼓舞する必要が、あるのだろう。自ら鼓舞するのであって、決して、人に向って言うものではない。勇気とはそうした種類のものである。

 

「君は少し引込み思案なところがあるぞ。いいか、失敗したっていいんだ、どんどん挑戦するんだ。ほんの少しの勇気の違いで、物事は全く違って来るもんだよ。人生そのものだって変わる。何事も、前向きな心構えが大切なんだ。そうすれば」

 

この手の説教をする人は世間に案外、いる。いるらしい。これがまた、なぜだかよく分からないのだが、実業界に比較的たくさんいるようだ。果たして、ソースレバの後に続けて、

 

「営業成績も良くなるぞ、絶対に。俺が保証する」

 

と来たものだ。いつの間にやら人生の心構えと営業成績とが結び付いている。これほど怖気をふるう説教はない。なぜなら、非の打ちどころのない立派な構造をした物言いだからである。

 

殊に、末尾の一句が何より怖ろしい。一体どう保証するつもりか。

 

矛盾のようだが、最も立派な言説とは、最も空虚な精神論である。たとえば、その理解に届いているか届いていないかの一点によって、子供と大人とを区別することも可能かも知れない。こう言っては失礼ながら、子供のまま無邪気に育った人間が、めでたくそのまま年を重ねて、この手の説教をやる人間になるような感じがある。

 

もしも仮に、この教えなるものに忠実に従ったのだが、それにもかかわらず営業成績に変りがない、とする。その場合どうするのだ。きっと相手は、こんな具合に答えてくれる。

 

「君のは、まだ表面的なんだ。本質的なところを、しっかりと掴まなくてはな」

 

それが俺ガ保証スルの実態である。非の打ちどころのない立派な構造をしているというのは、こういうことである。したがって空虚である。

 

たったこれだけのことを社会的配慮を施して遠回しに言うのにさえも、勇気が要る。こんな他愛ないことに勇気とはいかにも大袈裟でおかしいが、やはり要るらしいのである。小さじ一杯ほどの勇気でも、勇気は勇気であろう。

 

誰が、誰に対して、言うのか。

 

言う勇気が俺にあるくらいなら初めから、こんなことを日記帳に延々と書き付けたりしやしない。

 

 

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この短い話はこれでおしまいですが、

しかし言語の鎖は連なる。

次回のスニペットは「一句」でお送りします。

 

※記事中の画像はウィキメディアコモンズより転載